小学生時代
小1から小5までを俗にいういじめられっ子として過ごしておりました。
(上履き、下足は基本的にない。あっても何か入ってる。ランドセルは基本全員分運ばされる。通学路には僕の悪口がいっぱいかいてある。とりあえず殴られる。などなど)
そんな感じだったので縄跳びだけは異常に上達しました(1人で遊べるため)小3で三重跳びができるようになってました。(これすごくないですか?)
中学生時代
最初こそ普通に通学していましたが徐々に「くだらねぇ」とか思うようになり毎日好き勝手に過ごしました。
高校生時代
とりあえず高校くらいは出た方がいいだろうと思い進学したものの中退。このころの僕は「バカを極めるとこうなる」というようなやつでした。
高校中退から23歳
特にやりたいこともない、だけどお金は必要、学歴はない。
ということで飲食業で働くことにし2年後に調理師免許を取得しました。その頃の働き方はえげつなく24時間働けますか?みたいなことが現実に存在していました。
その頃もまだバカがアホになったくらいなので「そんな一生懸命仕事してるおれってかっこよくない?」とか意味不明な認識をしておりました。
この頃になると友人達も仕事につきはじめ自分と友人達の環境の差に「ん?なんでそんなみんな時間あるの?」など疑問を抱くようになり退職。
よくあの頃の経験があるから大丈夫みたいなことを聞くけどうーん..そうですねー..「二度とやりたくない」かな…(飲食業を否定しているわけではありません)
それから23歳くらいだったかなぁ。までふらふらと運送業のバイトや深夜のリフト作業の派遣などで食い繋ぐという日々をすごしました。
航空機組立業時代
航空機って手作りなんですよー。知ってました?
24歳の時航空機組立の求人に目がとまり応募。まさかの合格。
やっぱり学歴がないせいか全くついていけずそのプロジェクトでぶっちぎりのビリスタート。何回言われても覚えられない。何度も同じ失敗を繰り返す。決して不真面目に取り組んでいたのではなく必死でした。
ただメモのとりかた。きちんと理解できていないのに流れをとめてしまうことを恐れちゃんと質問しなかったこと。これらの行動が生んだビリだったと今では思います。
それから僕は最初にしっかりこれでもかってくらい詳細にメモをとるようになりました。最終的に全てのアイテムの組立時間で一位になりました。半分はズルですが(休憩時間も全部作業にあててました)その後組み立てた航空機のパーツを出荷する係になり前任者に教えてもらいながらパソコンを触ることに。
倒産から職業訓練
26歳の時に会社が倒産。さてどうしたものか。パソコンを触り出したこともあり「よしっ。パソコンやりたいな」
そして職業訓練というものがあることを知った僕は職業訓練のリストの中からパソコンに関係ありそうなところをみてみると倍率が3.xx倍とかで「こりゃ。あかんわ。どうしたもんか。。」と思っていたら0.6倍のところを発見。
「おっ。これならいけるじゃん。」と思い応募したのが「webプログラマ養成講座(だったような気がする(名前))」
当然何を言っているのかわかるはずもなく3日目にして「君には無理だと思うよー」通告を受ける。
「いやいやいや。そこはなんとか面倒見てくださいよー」とお願いし教室の左奥端っこで「できるwindows」「できるWord」「できるExel」をひたすらやり続ける日々が開始しました(参考書のタイトルは間違っているかもしれません)
ある時生徒の一人がキレちゃって「答えも教えてくれんのにできるわけねえだろー!」あとなんだったかな。忘れた..
こりゃあかんなって思って先生に「ちょっと屋上でタバコ吸ってきていいですか?」と申し出てその人と二人で屋上に行き「だめだて。キレたら。おれんくなるぞ」みたいな話をして「あの一瞬はゆずれない」って返ってきたときに「ど..どの一瞬でしょうか?」と思ったのは今でも覚えています。
それから数日後からなぜか僕もプログラミングの授業に参加できることになりさっぱりわからないながらも授業を受けなんとか卒業。多分上記のことがきっかけだったのかなぁとか思ってます。
当時はリーマンショック真っ只中でみんな就職に困ってました。僕もその一人だったのですが体力だけはあったので運送業のバイトなどで食いつなぐ日々が再び開始されました。
就職・テックアカデミー・独学・RUNTEQ
家具の配送、設置の仕事を行なっているときに出会ったSくんとの会話のなかで「〇〇会社なんてどうっすか?」「いーやー。あんなでっかいとこ俺には無理だろ」「僕。話してみます」から話がすすみ運輸会社に就職。会社には感謝しています。あのころ本当にどうしようもなかったから。
ただ入社してから僕が仕事以外で夢中になったのはビリヤード!
毎日最低3時間。休日は自由になる全ての時間をビリヤードに費やすという行為を8年間続けました。
途中から気づいてました。ビリヤードがうまくなったところで仕事にすることはできないし誰かが得をすることもない。あくまでも趣味だ。
ここにしっかり目を向けないままひたすらビリヤードをしつづけ気が付けば30代後半。あるとき部屋の片付けをしている時にJavaの参考書が見つかり、そういえばこんなのあったなぁ。ということで当時さっぱりわからなかったことが理解できる。
だったらなんか作れるんじゃないか?というわけでテックアカデミーを受講し、その後、見よう見まねで配車予定を確認できるアプリを制作。ものすごいチープなできなのに7ヶ月かかりました。(環境構築3ヶ月+実装4ヶ月)
それを約1年運用したころherokuの無料プランが廃止されるとのことでそのアプリを閉鎖し、さらなる技術の習得のためRUNTEQを受講。
そして現在へ
RUNTEQ卒業後、環境構築からデプロイまでできるようになり、2つ目のアプリをリリースした時に感じた「これ以上望むことがないかもしれない」という気持ちをきっかけに徐々にプログラミングから離れる。
無くなってしまった目標。
自分にできそうなことで価値を生み稼げることを探し続け、ブログにたどり着く。
自分がプログラミングをはじめようとしたときに欲しかった情報を今の自分なら提供できる。違うと思えばやめるが今のところこの路線で行こうと考えています。
最後までお読みいただきありがとうございました。